こんにちは、ポワロです。
3月25日のテレビ東京「ガイアの夜明け」であの「丸亀製麺」を創業した粟田貴也(あわた たかや)さんが紹介されていました。
丸亀製麺のお店は日本中あちこちにあるので、私も利用したことがありますが、粟田貴也さんが起業した最初のお店はうどん店ではなかったのだそうです。
今回は粟田貴也さんの経歴や家族、年収やうどん店以外の事業等について調べてみました。
粟田貴也トリドール社長の経歴・プロフィール
粟田貴也さんは1961年10月28日生まれ、兵庫県神戸市出身。
父は兵庫県警の警察官で母と2歳年上の兄の4人家族でした。
3歳の時に加古川市に移りましたが、粟田貴也さんが中学生のときに父がくも膜下出血で亡くなってしまいました。
加古川東高校を卒業後、神戸市外国語大学に入学しましたが、自分で店を持ちたいという思いから大学を中退して、給料の良いトラック運転手として働いて開業資金を貯めました。
1985年8月、加古川市に焼鳥屋「トリドール三番館」を開店しました。
そして、幼なじみの女性と結婚して一緒に店をやることになりました。
1990年6月には有限会社トリドールコーポレーションを設立し社長に就任、1995年10月には株式会社トリドールに組織変更をしています。
父の故郷である香川県丸亀市に立ち寄った際に行列のできる讃岐うどん店に遭遇したのがきっかけで、2000年11月に「丸亀製麺」1号店を加古川市に開店しました。
丸亀製麺の一番の特徴として、店内でうどんを打ち、調理するというところにこだわったことが、他店との差別化になり、勝てるようになった理由です。
2004年に鳥インフルエンザの影響もあり、焼鳥屋から徐々にうどん屋へとシフトしていったのが良かったのでしょうが、「丸亀製麺」は2020年末には国内857店舗、海外237店舗まで拡大して、トリドールの主力事業となっているのです。
粟田貴也さん自身は丸亀市の出身でもなく、丸亀でうどん屋を始めたわけでもないのですが、「丸亀」の名前は全国に知られることになったわけです。
粟田貴也トリドール社長の家族や年収
粟田貴也さんは幼馴染だった奥さんと3人の子供(男の子2人、女の子1人)がおられますが、詳細な情報は公開されていません。
株式会社トリドールは現在株式会社トリドールホールディングスになっていますが、取締役4人に対する報酬は2021年3月期実績で1億1,900万円と開示されています。
社長の粟田貴也さんの取り分を仮に3割とすると約3,500万円が役員報酬となります。
さらに、保有株式の配当金があります。
粟田貴也さんの2021年9月時点の保有株数は27,577,311株、2021年3月期の配当金は1株当たり4.50円ですので、およそ1億2,400万円の配当金となります。
ですので、年収としては1億6000万円程度ではないかと推測されます。
粟田貴也さん経営のトリドールのうどん以外の事業は?
トリドールホールディングス傘下の事業としては、売り上げの8割程度が「丸亀製麺」によるものですが、それ以外で気になる事業をいくつかピックアップしてみます。
- 焼鳥屋 とりどーる
炭火焼鳥、唐揚げ、釜めしのお店として兵庫、大阪で13店舗を展開していますが、全国展開はしないようです。 - コナズ珈琲
ハワイアンカフェで、こちらは全国に40店舗展開しています。
今後、出店が増えていくのではないでしょうか? - ずんどう屋
とんこつだしの濃厚スープが特徴のラーメン店で、兵庫、大阪、京都、奈良、岡山、広島、東京、神奈川に出店しています。
海外では、丸亀うどん以外に、香港、アメリカ、シンガポールなどで買収や出資によりグループ会社を増やしていこうとしていますね。
まとめ
今回は、「丸亀製麺」で有名なトリドール社長の粟田貴也さんの経歴や家族、年収等について調べてみました。
粟田貴也さんは、若い頃の店での経験から、「お客さんを楽しませる店」を実現したいという夢を持って事業を進めて来られ、その結果大きな事業を成功させることにつながったのだと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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