こんにちは、ポワロです。
12月7日のNHK総合「プロフェッショナル 仕事の流儀」に俳人の夏井いつき(なつい いつき)さんが出演します。
夏井いつきさんといえば、テレビ番組『プレバト!!』の人気コーナー「俳句の才能査定ランキング」で、芸能人の作った句をバッサリ切り捨てる添削が面白くて、俳句に特に興味のない私でも見てしまうほどです。
夏井いつきさんは、従来は一部の愛好者だけが地味にやっていた俳句にブームを巻き起こし、俳句に興味を持つ人を増やし続けています。
まさに、俳句の伝道師と言えると思います。
そのような夏井いつきさんが、どのようにして俳句の伝道師になれたのか、興味を持って調べてみました。
夏井いつきさん(俳人)が俳句の伝道師になれた理由は?
夏井いつきさんが今日のように俳句の伝道師として大活躍するようになれたのには、主に以下の5つの要因があると思います。
(1)学生の頃から「何か言葉を使った仕事がしたい」と思っていたこと
夏井いつきさんは学生の頃から本を読むのは好きでしたが、特に俳句が好きというわけではなかったそうです。
ものを書く人になりたいという漠然とした思いがあったからか、京都女子大学の文学部で学ばれています。
教育実習で子供を教えることの面白さを知り、自分に向いているのではないかと思ったそうです。
大学卒業後、言葉を使った仕事をしたいという思いから、愛媛県で中学校の国語教師となりました。
(2)家庭の事情で国語の教師の仕事を辞めなければならなくなり、辞める別の理由として校長先生に「俳人になる」と宣言してしまったこと
結婚後、家族を介護せざるを得なくなり、本当は辞めたくなかった教師をやめることになったんですね。
そのときに、無謀にも俳人になることを宣言したために、後に引けなくなってしまったのでしょう。
確かに、何かを実現をしようとするときに、周囲に対してコミットメントするというのは良い方法だと言われていますね。
(3)俳人の黒田杏子さんに師事し、プロの俳人になるための修行を続けたこと
国語の教師をしていたとはいえ、プロの俳人としてやっていくためには、誰かに指導を受ける必要があるでしょう。
(4)多くの俳人を輩出してきた俳句の都である愛媛県松山に住んでいたことで、地元の学校や地域コミュニティーの俳句イベントなどの機会に恵まれたこと
俳句になじみのある人が多い地元だったので、俳句関係の仕事の機会があったのはラッキーだったと思います。
(5)「人に何かを教えること」「俳句に興味のない人に魅力を伝えること」「テレビや講演で人前に立つこと」が自分にとって耐えやすいことだったこと
教師時代に、子供を教えることの面白さを知り、教壇に立つことにも抵抗がなかったことから、俳句を人に教えることや人前で話すことは得意だったのでしょう。
夏井いつきさんの経歴や師匠
夏井いつきさんは1957年(昭和32年)5月13日生まれ、愛媛県南宇和郡内海村(現在の愛南町)出身。
愛媛県立宇和島東高校から京都女子大学文学部国文科を卒業後、1980年に松山市で国語教師としてスタートしました。
1988年に教師を辞め、俳人の黒田杏子(くろだ ももこ)さんに師事しながら、本格的に俳句を始めました。
1997年に、俳句集団「いつき組」を結成して、組長に就任します。
全国の小中高校生を対象とした「句会ライブ」という俳句教室を開催するようになりました。
2013年から、バラエティ番組『プレバト!!』内の「才能査定ランキング」で俳句部門を担当。
毒舌での評価・添削が絶大な人気を獲得し、俳句ブームを牽引するようになりました。
夏井いつきさんが俳句の師匠とした俳人の黒田杏子さんは1938年(昭和13年)8月10日、東京生まれ。
東京女子大学入学後、山口青邨の指導を受けました。
黒田杏子さんは、「季語の現場人」(常に季語の現場に立ち俳句を作る)姿勢をモットーとしていましたが、夏井いつきさんにもその姿勢は受け継がれているようです。
夏井いつきさんの家族
夏井いつきさんはペンネームで、本名は加根伊月(かね いつき)、現在の夫は加根光夫(兼光)さんです。
中学校の教師だった25歳のときに教師仲間の男性と結婚し、一男、一女の2人の子供を授かりました。
しかし、姑と実母の介護に疲れたことから、2人の子供を引き取る条件で40歳のときに離婚。
離婚後は俳人としての活動に没頭していました。
現在の夫である加根光夫さんは、博報堂の関西支社でCMプロデューサーをしていた人で、夏井いつきさんに仕事の依頼をしたことがきっかけで交際を始め、2006年に結婚しています。
現在は夏井いつきさんが仕事に専念できるように、家事やマネージャーを担当しているということです。
まとめ
今回は、夏井いつきさんが俳句の伝道師になれた理由、経歴や師匠と家族について調べてみました。
夏井いつきさんは、「俳句には人を変える力がある」ことを1人でも多くの人に知ってもらいたくて俳句の普及活動を続けておられます。
その結果、多くの人が俳句に興味を持つようになってきたのではないでしょうか。
今後も、日本人総俳人化を目指して、俳句の魅力を多くの人に伝えていってもらいたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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