こんにちは、ポワロです。
11月22日のNHK「逆転人生」に強盗殺人事件の冤罪(えん罪)で無期懲役の刑を受けながら、奇跡の逆転無罪を勝ち取った桜井昌司(さくらい しょうじ)さんが出演します。
桜井昌司さんは1967年に茨城県で起きた強盗殺人事件(布川事件)で窃盗容疑で別件逮捕され、知人の杉山卓男(すぎやま たかお)さんとともに強盗殺人罪で起訴され、1978年に無期懲役が確定しました。
1996年に2人は仮釈放され、その後長年の闘いの末、2011年5月の再審判決で無罪となっています。
今から50年以上前のこととはいえ、なぜこのようなえん罪が起きてしまったのか興味を持ちましたので、調べてみました。
桜井昌司さんが布川事件の強盗殺人冤罪との闘いで得たもの
- 警察官も検察管もウソをつくということを実感したこと
物的証拠や目撃証言が乏しい事件の場合、警察官は自らの経験や勘に頼って見込みで捜査をしてしまいがちです。
そして怪しいと目を付けた容疑者を長期間勾留して、(ウソの)自白を引き出すのです。
布川事件では、桜井昌司さんが事件当日のアリバイとして「兄貴のアパートに泊まった」と言ったのに対して、警察官が「お前の兄貴に確認したら、来てないといったぞ」と言われ、記憶違いかと思わされたそうです。
でも、桜井昌司さんはやっぱり当日のことははっきり思い出していて、警察官がウソをついたということがわかったんですね。
そして、留置場という特殊な空間で毎日同じことを聞かれ続けると、やってないことでもやったと言わされて、犯人にさせられてしまうということを身をもって体験したわけです。
警察官が信用できないと思った桜井昌司さんは、検察官ならちゃんと聞いてくれるだろうと思って担当になった検察官に無罪を主張したわけです。
その人は話をちゃんと聞いてくれて、否認調書を作ってくれたのですが、その後また警察に戻されたのです。
そして、警察官は「自白調書が証拠になって、お前は犯人にされてしまうんだ。素直に認めないと裁判官の心証が悪くなって死刑になるぞ」と脅すのです。
桜井昌司さんは、死刑になりたくない一心でまた「やった」と言わされてしまったのです。
こんな非科学的なやり方で犯人だと決めつけられるとは、とんでもないことだと思います。
しかも、検察側が隠していた自白の録音テープが改ざんされていたということも、後になってわかったそうです。
今ではこんなことはもうやっていないと信じたいところですが、最近でも森友学園の件で財務省が文書改ざんをやっていたことを考えると、どうなんでしょうか。
- 裁判官も間違える(裁判にもまちがいがある)ことを実感したこと
警察も検察も、有罪にするのに都合の良いストーリーに従った証拠を出そうとするので、裁判官も騙されてしまい、判断を誤るケースも出てくるのではないでしょうか?
桜井昌司さんが布川事件の強盗殺人冤罪で失ったもの
1967年10月、20歳で手錠をはめられた桜井昌司さんは、49歳になるまで塀の外に出られませんでした。
29歳の時に母のりつさんをガンで亡くし、45歳の時には父の武男さんが急死しており、親の死に目に会うことはできず、えん罪であったことを伝えることもできなかったのです。
そして言うまでもなく、20歳から49歳までの約30年間の世の中の変化を身を持って体験することもできませんでしたし、結婚して家族を持つこともできませんでした。
20歳から服役したため、年金受給資格がなく、年金は受給していないということです。
桜井昌司さんの経歴と家族や結婚について
桜井昌司さんは1947年1月24日、栃木県塩谷郡塩屋村(現在の塩屋町)に生まれました。
1962年4月、茨城県立竜ケ崎第一高等学校に入学しましたが、同年9月に中退しています。
その後はいくつかの職を転々とし、窃盗をしたこともありました。
桜井昌司さんは、わがままで自己中心的な性格だと自覚しています。
1967年8月30日、茨城県北相馬郡利根町布川で強盗殺人事件(布川事件)が発生し、同年10月に桜井昌司さんは窃盗容疑で別件逮捕されました。
1978年に無期懲役が確定し、1983年に獄中から1回目の再審請求を行いましたが、1992年に棄却されました。
桜井昌司さんは服役中に詩を書き、雑誌へ投稿したり、自作の詩に作曲をしたりしていました。
1996年11月に仮釈放後は二回目の再審請求に向けた活動を始めました。
1999年7月、支援者の女性恵子さんと結婚。
シングルマザーとして2人の子供を育てていた恵子さんのほうから積極的にアプローチされたそうです。
2005年に第二次再審請求が認められ、2011年には遂に無罪を勝ち取ることができました。
裁判所は取り調べの録音をもとに、自白の強要があり、目撃証言も信用できないと認めてくれたのです。
桜井昌司さんは、自分のようにえん罪で苦しむ人がもう出ないようにするための司法制度改革に取り組んでいます。
「嘘をついた警察官が裁かれる制度を作りたい。今は裁かれないのです」と桜井昌司さんは語っています。
本来人の人生を曲げさせないために警察があるはずなのに、その人たちが人生を曲げることは許されない、と桜井昌司さんは考えています。
2019年には転移した直腸癌が見つかった桜井昌司さんですが、がんになってどういうことになるのか体験できるのはいいんじゃないかと思っているそうです。
高僧が悟りを開いたような心境なのでしょうか?
2021年4月には、獄中で書き綴った自作の詩とともに、今伝えたい思いをまとめた著書が出版されました。
「俺の上には空がある広い空が」
まとめ
今回は、桜井昌司さんが布川事件の殺人冤罪との闘いで得たものや失ったもの、経歴や家族等について調べてみました。
警察、検察、裁判といった現在の司法制度の問題点を自らの力で明らかにし、改革に取り組んでいる桜井昌司さんですが、残された人生を悔いのないように生きていただきたいと思いました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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