こんにちは、ポワロです。
3月31日のテレビ東京「カンブリア宮殿」で元東武百貨店の伝説のバイヤーと言われた内田勝規(うちだ かつのり)さんが紹介されていました。
今回は内田勝規さんの経歴やバイヤー時代の成功、失敗、現在行っている地域創生への取り組み等について調べてみました。
内田勝規さん(元バイヤー)の経歴・プロフィール、高校、大学
内田勝規さんは1957年5月3日、東京都生まれ。
高校は中央大学杉並高等学校を卒業しました。
中央大学杉並高等学校は1963年4月に開設された、中央大学の付属高等学校で、略称は中杉(ちゅうすぎ)と呼ばれています。。
当初は男女別学でしたが、1992年入学生から男女共学となりました。
卒業生の有名人としては、小説家の浅田次郎さん、エアロバティクスパイロットの室谷義秀さん等がいます。
中央大学の付属高校ということで、卒業生のほとんどは中央大学に進学するようです。
内田勝規さんは高校卒業後、中央大学に進学します。
中央大学はもともと法科系の学校として設立されたので、法学部が有名ですが、経済学部、商学部、文学部、理工学部があります。
内田勝規さんの学部や専攻については公開されていませんでしたが、百貨店に就職されていることから商学部だったのではないでしょうか。
1981年、中央大学を卒業した内田勝規さんは、(株)東武百貨店に入社しました。
開発企画室勤務や出向を経て、2001年に販売促進部 催事企画担当マネージャーに就任しました。
ここから、内田勝規さんのバイヤーとしての活躍が始まったわけです。
百貨店における「バイヤー」というのは、物産展等の催事全般の企画や商品計画、売上管理等を主に行います。
他店との差別化のために、新規商品の開拓にも注力したそうです。
2001年秋の北海道物産展で前年の3倍弱の4億円を売り上げ、2004年には何と年間で約13億円を達成、「北海道物産展といえば東武」と言われるまでに育てました。
2009年には東武百貨店のエグゼクティブバイヤーとなりました。
しかし、内田勝規さんはここまでの経験と実力を活かして独立しようと考え、2010年には東武百貨店を退社して株式会社オフィス内田を設立したのです。
株式会社オフィス内田は、地域と一緒に考え、地域を元気にするために、物産展の企画や商品等のプロデュースを行っています。
内田勝規さん(元バイヤー)の失敗エピソード
東武百貨店時代からカリスマバイヤーと呼ばれた内田勝規さんは、実際に現地へ足を運んで商品を選ぶことを大切にしています。
百貨店というのは、生産者あっての商売であり、生産者が良いものを作ったら、消費者にちゃんと紹介しなければいけません。
そのために、現地を回って生産者の気持ちや商品のことを教えていただくということを怠らないようにしているのです。
人気商品の共通点として、なかなか手に入らない物、新商品、時代のニーズに合う物、そして「らしさ」があるのだそうです。
例えば、北海道のスイーツには「柔らかい」という北海道のスイーツらしさという共通点があり、その切り口を見つけて商品を探すように心がけているのだとか。
しかし、商品自体は魅力的だったのに、売れなかった商品もあったそうです。
北海道の「スープカレー」を物産展で売ろうとしたのですが、札幌では流行っていたのに全国的には時期が早すぎて失敗したそうです。
新しいものを探し出すだけではなく、お客さんの間で「欲しい」という気持ちになってきているかを見極めることも大事なんですね。
内田勝規さん(元バイヤー)流の地域創生とは
内田勝規さんが考えている地域創生や地域活性化というのは、売れる商品づくり、売れるための仕掛け、ブランド力による売り上げ増などの手法で実現しようというものです。
そのために、消費者目線に立って考えると、世の中の人達は「より美味しいもの」を求めているということです。
地方では美味しいものは地元で食べられてしまって、全国の人に知られていないものもあるわけです。
内田勝規さんは、そのような美味しいものを発掘して売れる商品にすることで、結果的に地方経済にプラスになるような仕事を続けていこうとしているのですね。
まとめ
今回は、内田勝規さんの経歴やバイヤー時代の成功、失敗、現在行っている地域創生への取り組み等について調べてみました。
地域の美味しいものを自ら足を運んで発掘し、全国に紹介することで地域の活性化につながるという信念を持って仕事を続けられているのは素晴らしいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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