こんにちは、ポワロです。
11月15日のNHK「逆転人生」にエアレース・パイロットの室屋義秀(むろや よしひで)さんが出演します。
室屋義秀さんはエアレース・パイロットやエアロバティック・パイロットとして活躍していますが、それぞれの違い等について紹介したいと思います。
また、室屋義秀さんは世界のトップクラスのパイロットが集まって行われる「レッドブル・エアレース」で2017年に年間総合優勝を成し遂げていますが、どのようにして世界一を達成できたのかについても調べてみました。
室屋義秀さんがエアレース世界一を達成できたわけは?
室屋義秀さんは子供の頃からパイロットに興味を持つようになり、その夢を実現させたわけですが、その原動力は「面白い、興味があるから」ということだけだったのです。
本当に自分がやりたいことを見つけて、それをずっと続けてきたからというのが理由のようです。
まず、本当に自分がやりたいことが見つけられるかどうか、が一つのポイントでしょう。
室屋義秀さんは幸いにも見つけられたから良かったのですが、何も見つけられなかった人も多くいるのではないでしょうか?
あるいは興味のあることはあったとしても、それを仕事として続けることができずに、趣味としてはやっているものの、生活のために好きでもない仕事をしている人も多くいると思います。
もう1つ室屋義秀さんが成功できた要因としては、多くの人の助けを借りることができたことでしょう。
まず最初に、親の反対があったのかどうかはっきりしませんが、もしあったとしてもそれで諦めてしまうようなことがなかったからです。
また、飛行機や海外遠征等の費用も相当大きなものになるので、そのためのお金を調達することが必要です。
あっちこっちにお金を貸してくれるように頼み込み、3000万円位の飛行機を購入したこともあったそうです。
こういった資金調達力(交渉力)があったことも、成功の要因の一つではないでしょうか。
トレーニングとしては、技術的なフライトトレーニング、フィジカルトレーニング、メンタルトレーニングの3つがあり、いずれも大事なものです。
当然のことですが、これらのトレーニングを継続することが、トップレベルを維持するために必要であり、室屋義秀さんも実行されています。
室屋義秀さんの経歴や家族
室屋義秀さんは1973年1月27日、奈良県生まれ。
中央大学杉並高校卒業後、中央大学文学部に入学しました。
大学入学後、航空部に所属し、グライダーで空を飛んだのが初めての飛行経験でした。
大学の航空部には部員が多くて順番待ちをしたり、天気が悪ければ飛べなかったりして飛行時間を稼ぐことができず、パイロットの免許がなかなか取れそうもありませんでした。
「アメリカなら、安く飛べるらしい」と聞いた室屋義秀さんは、1993年、20歳でアメリカに行き、飛行機のライセンスを取得しました。
1995年に、エアロバティックスの世界大会が日本で行われ、その飛行を見た室屋義秀さんは衝撃を受けました。
自分の想像をはるかに超えた飛行コントロールを見て「どうせやるなら、ここまでやりたい」と思ったのです。
そして、エアロバティックスの本格的な訓練を開始しました。
日本ではエアロバティックス・パイロットになるための道はなく、コーチすらいませんでした。
アメリカに渡って、訓練をしながら下のクラスの大会から出て、少しずつステップアップしていったのです。
エアロバティックス(曲技飛行)とは1km四方に設定された空域でロール(横転)やループ(宙返り)など曲技飛行の正確さを競う競技です。
これに対して、エアレースはスピードと操縦技術を競う競技になります。
トップクラスのパイロットが集まって2003年にスタートした「レッドブル・エアレース」は2005年からワールドチャンピオンシップになり、世界各所で闘ってワールドチャンピオンを決めます。
このエアレースは、高さ25mのパイロン(空気で膨らませたエアゲート)で構成する低空の空中コースを周回して飛行タイムを競います。
室屋義秀さんは2003年に初めてエアロバティックスの世界選手権に出場しました。
そして、レッドブル・エアレース・チャンピオンシップには2009年から参戦し、2017年には遂にワールドチャンピオンになりました。
プライベートでは、2005年に結婚し、3人の娘さんがおられます。
室屋義秀さんの今後の活動・目標
レッドブル・エアレース・チャンピオンシップは2019年で終了してしまいましたが、2022年から開幕するワールドチャンピオンシップエアレース(WACR:World Championship Air Race)に参戦することが決まっています。
2021年10月21日に、トヨタ自動車の高級車ブランド「レクサス」と作る新しいチーム体制で参戦することが発表されました。
室屋義秀さんが代表を務める航空マーケティング会社「パスファインダー」とこの新しいチーム「レクサス・パスファインダーエアレーシング」は航空機と自動車という二つの分野の技術を融合させてレースを有利に進めるための技術開発を行うというのです。
エアレースで世界の頂点に立った室屋義秀さんですが、「操縦技術を極めたい」という思いに終わりはなく、人生をかけて『操縦士道』を探求していくのでしょう。
全国各地でエアショーを開催することで、空の世界に興味を持ってもらうという活動も続けています。
また、次の世代のために、「人材育成」と「航空産業」の両輪を成長させるプロジェクトも展開しています。
まとめ
今回は、パイロット室屋義秀さんがエアレースで世界一になれた理由や経歴、家族、今後の活動・目標について調べてみました。
本当に自分がやりたいことを見つけて継続してきたこと、多くの人の助けを借りることができたこと、フライト技術・フィジカル・メンタルのトレーニングを怠らないことが世界一になれた理由だと考えられます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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