こんにちは、ポワロです。
2022年5月8日の情熱大陸に、ラグビー選手の姫野和樹(ひめのかずき)さんが登場します。
姫野和樹さんは2019年のラグビーワールドカップ日本大会の日本代表として活躍し、ベスト8入りに貢献した選手です。
少年時代はあまり裕福ではなかった姫野和樹さんが、ラグビーのプロとして成功できた原動力は何なのでしょうか?
今回は、姫野和樹さんの経歴や家族、ラグビー選手として成功した理由、現在のライバルなどについて調べてみました。
姫野和樹さんの経歴や家族
姫野和樹さんは1994年(平成6年)7月27日、愛知県名古屋市中村区に生まれました。
両親と姉妹の5人家族で、名古屋市内の賃貸アパートに住んでいたそうです。
両親ともに働いていましたが、経済的には結構たいへんだったようで、夜に親が家にいないことも結構あったそうです。
忙しい両親のことを気使って、自分のことは自分でするように自立するのは早かったようです。
名古屋市立御田中学校に入学した姫野和樹さんは、ラグビーに出会いました。
当時のラグビー部の顧問だった松浦先生の勧誘でラグビー部に入りました。
そして、中学1年で「将来の夢はプロに入ること」という目標を立てていたのです。
両親を早く楽にさせてあげたいという優しい思いからだったのでしょうか。
私も久しぶりに「親孝行」という言葉を思い出してしまいました。
春日丘高等学校を卒業後、2013年に帝京大学に入学して、ラグビーの基礎を身に付けていきました。
2017年に帝京大学を卒業し、トヨタ自動車ヴェルブリッツに加入し、わずか1ヶ月ほどでキャプテンに就任したというのも大物ぶりがうかがえますね。
2019年8月に、ラグビーワールドカップ2019の日本代表に選出されて、その活躍によってブレイクしました。
2021年にはニュージーランドのハイランダーズに加入して、ルーキー・オブ・ザ・イヤーに選ばれているのも凄いですね。
姫野和樹さんがラグビーで貧困を脱出できた理由
中学生のときに始めたラグビーで成功を掴んだ姫野和樹さんですが、子供の頃は貧しくてお金がない生活をしていました。
小学校の給食費を滞納していたとか、中学でもお金がなくて合宿に行けなかったとか、ずっと苦しい思いをしてきて、何とかしてこの生活を抜け出したいというハングリー精神があったことが成功の原動力だったのだと思います。
そして、持って生まれた恵まれた体格があったことも大きいでしょう。
中学時代のラグビー部の顧問の先生が姫野和樹さんに体当たりして、ぶっ飛ばされたというエピソードがあるほどで、当然他の部員では姫野和樹さんの相手にはならなかったのでしょう。
本気を出すと他の部員にけがをさせるので、姫野選手には本気禁止令が出ていたそうです。
もう一つは、指導されたことを素直に、愚直にやってみるという姿勢を持っていることでしょう。
その素直さが、技術だけでなく精神面も成長させることにつながっているのではないかと思います。
ラグビーに関することは、ノートに書いていくことを習慣にしていて、姫野ノートとも言われているんだそうです。
姫野和樹さんの現在のライバルは誰?
姫野和樹さんの得意技と言えば「ジャッカル」や「タックル」ですが、恵まれた体格と素早い動きによって生み出されています。
ニュージーランドのハイランダーズに加入していることから、ニュージーランド代表のオールブラックスのシャノン・フリゼル選手をライバルと考えているようです。
また、日本代表ではリーチ・マイケル選手を目標に追いつけるよう頑張っているんだとか。
いずれにしても、ライバルを設定して切磋琢磨することで、より一層高いレベルを目指していこうとする姿勢は、プロとして当然のことなのかもしれませんね。
まとめ
今回は、ラグビー選手姫野和樹さんの経歴や子供の頃の貧しさをバネにプロ選手としてブレイクできた理由や現在のライバル等について調べてみました。
2023年ワールドカップフランス大会にも、ぜひ日本代表として出場して、世界中に衝撃を与えるほどの活躍を期待したいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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